城南五山を知っていますか?

知る人ぞ知る「城南五山」

「城南五山」とは、かつて新興高級住宅街として知られた、山手線目黒駅から品川駅にかけての島津山、池田山、花房山、御殿山、八ツ山の5エリアで、もう住所に残っていない幻の高級住宅エリアとも言えるだろう。

実際に豪邸が立ち並び、港区に属する八ツ山を除く4つの山(花房山、池田山、島津山、御殿山)が今の品川区に存在していました。

品川駅の高輪口周辺で、「池田山」(東五反田1・3丁目付近で、名称は、備前岡山藩の池田家の下屋敷があったことに因む。池田山には、池田山公園やねむの木の庭といった公園も整備されています。)、「御殿山」(北品川3~6丁目付近で、名称は、徳川将軍家が鷹狩の折りに休んだ品川御殿があったことに因みます。)、「島津山」(東五反田1・3丁目付近で名称は旧島津公爵邸に因み、同邸宅は現在清泉女子大学となっています。)、「花房山」(上大崎3丁目付近で、名称は、明治、大正期の外交官である花房義質の別邸があったことに因みます。)。
そして、「八ツ山」(高輪3~4丁目付近)、以上5つのエリアの総称です。

「八ツ山」は、説がいくつかあり、
1)この地に八つの岬があったので「八ツ山」と名づけたという説
2)八人の諸侯の屋敷があったので「八ツ山」と名づけたという説
3)この地がかつての谷山(やつやま)村の一部だったことから谷山が「八ツ山」に転化したという説
八ツ山にはかつて岩崎家の別邸で、現在は三菱グループの施設となっている開東閣があります。

また、「山」と付くことから想像がつきますが、それぞれのエリアが高台で、地盤が丈夫で水害が少ない。
こういった理由もあり、歴史を彩る偉人たちや、今でもそれを知る高所得者が好んで住んでいるエリアになります。

「城南五山」の歴史

南北朝時代には、豪族が屋敷を構えていたと言われるエリアで、国立科学博物館付属自然教育園の豊富な緑も残っています。
昭和初期から高級官僚や実業家が住み始めました。もちろん、高台で地盤が丈夫で水害が少ない事も利点ですが、第一種低層住居専用地域でもあり、都会のど真ん中にもかかわらず駐在所まであるのだから、このエリアに住んでいる方々がどれだけ重要な人たちか分かる。

「城南五山」の特徴

御殿山に関して

最も南側に位置するのが御殿山には、江戸時代初期に徳川家康が「品川御殿」を建てた事でも有名。
この「品川御殿」は、歴代の将軍家が鷹狩りを楽しんだ時の休憩所として使われていたと言われ、その流れもあり明治以降は富裕層の屋敷が建ち並ぶようになっていった。以前は、東京湾を見下ろす海沿いの景勝地としても知られ、桜の名所としても有名だったとされています。

花房山に関して

最も北側にある花房山には、江戸時代には大名屋敷があり、明治・大正期には日本赤十字社の社長でもあった花房子爵の別邸があったとされており、その名に由来し、花房山と呼ばれています。

池田山に関して

花房山のエリアから五反田方面に進んだ位置する。江戸時代には備前岡山藩・池田家の下屋敷があり、その後池田氏の邸宅となった。他にも「ねむの木の庭」や池田家の奥庭を整備した池田山公園が立地し、由緒ある高級住宅街として歴史ある面影を残しています。

八ツ山に関して

島津山からさらに東側に行き、JR品川駅の南側の山手線内側あたりが「八ツ山」と呼ばれていたとの事。旧三菱財閥の祖・岩崎弥太郎氏の高輪別邸があり、現在は、三菱グループの迎賓館「開東閣」として使用されています。

島津山に関して

池田山の東側に桜田通りを挟んだ東五反田1・3丁目の高台にあるのが「島津山」。明治時代は薩摩藩の島津家が所有していたとの事で、江戸時代後半には仙台藩伊達家の下屋敷があり、明治時代に入ると大河ドラマでも話題の薩摩藩島津家の本邸が存在していました。現在は清泉女子大学が立地している。