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多様な要素が魅力的な街・五反田〈前半〉

オフィス街・繁華街・住宅街など、多様な顔を有する五反田。本記事では、そんな五反田の魅力を2回に分けて紹介します。前半は五反田の歴史について、原始から現代までをお話しましょう。

原始から近代まで人々の暮らしが営まれた五反田

五反田の歴史は、古くは縄文時代まで遡ることができます。東五反田5丁目付近にある池田山北遺跡や西五反田の桐ケ谷遺跡は、縄文時代早期から前期の遺跡として知られています。
その後、縄文時代前期になると五反田の隣・大崎二丁目にある居木橋遺跡など、目黒川沿いで集落が営まれ貝塚や住居址が発掘されているのです。
中でも池田山北遺跡は弥生時代まで栄え、弥生後期には目黒川左岸に大規模な環濠集落が営まれました。
縄文から弥生という原始時代の五反田に人々の営みが行われたのは、この地が高台であり、人が暮らしやすいという地理的条件があったことは言うまでもないでしょう。


この高台は、五反田駅の北西から北東に5つの台地が連なり、城南五山と総称されていました。五山は北西から花房山・池田山・島津山・八ツ山・御殿山で、その昔、江戸湾(東京湾)からはそれぞれ独立した山のように見えたそうです。
今でもその面影は、品川区立池田山公園・清泉女子大学・八ツ山橋・御殿山ヒルズ・御殿山トラストタワーなど公園・地名・学校・建築物名として残っています。

江戸時代に入ると、五反田周辺は農地となりますが、徳川幕府の直轄領として将軍の鷹場にも指定されます。
特に城南五山には、花房山の播磨三日月藩森家屋敷、池田山の岡山藩池田家屋敷、島津山の仙台藩伊達家屋敷、御殿山の徳川将軍家品川御殿など、将軍家・大名が武家屋敷を構えていました。

強固な地盤により地震などの災害に強い土地

城南五山は明治になると、財閥や実業家の邸宅に引き継がれていくことになりますが、大正から昭和初期にかけては一般の住宅地として分譲されるようになりました。
これが、現在のような住宅地としての五反田の幕開けといっても差し支えないでしょう。そして、五反田周辺が今住宅地として注目される理由がここにあったのです。

それは東京湾に近く、目黒川という河川が流れていても、高台があり地盤が強固で水害や地盤沈下が少ない。そうした土地の特徴により、もし地震が起きても比較的安全性が高い特性を備えています。
事実、1923(大正12)年9月1日午前中に発生した関東大震災では、東京全体が壊滅的な被害を受ける中、五反田周辺はあまり大きな被害を受けませんでした。

余談ですが、東急池上線で五反田駅から2つ目の戸越銀座では、関東大震災で銀座のレンガ造りの街並みが壊滅的な被害を受け、大量のレンガ瓦礫の処分に困っているという話を聞きつけた当時の商店主たちが、そのレンガ瓦礫をもらい受け、水捌けの悪い通りに敷き詰めて歩きやすくしたという逸話が残っています。

それほど五反田とその周辺は、未曾有の大災害にも大きな影響を受けることがなかったのです。
これが五反田周辺、特に城南五山が現代では都内屈指の高級住宅地として認知される所以でもあるのです。

高級住宅街・歓楽街・オフィス街と多彩な表情をもつ街

高級住宅地に囲まれる五反田ですが、五反田駅周辺に昔ながらの歓楽街や商店街があり、親しみやすい下町感を感じられるのもこの街の魅力といえるでしょう。
五反田の歓楽街の始まりは大正時代に遡ります。この時代は世界恐慌の影響から、日本が戦争に向かい進んでいく発端ともいえる時代でした。

しかし一方で、民本主義の提唱や大正デモクラシーにより、人々がつかの間の自由を謳歌した時代でもあったのです。
そうした時代背景もあり、五反田は、料亭・芸者置屋・待合を備えた三業地として認定され、東京屈指の花街として栄えます。多い時で58軒の芸者屋があり、220人の芸者がこの街を彩ったとされています。
しかし、1945(昭和20)年8月の敗戦で花街は衰退。そこに、飲食店・遊興店が軒を連ねる、今見られるような大歓楽街が生まれました。

一方五反田はこの時期、オフィス街としての第一歩を踏み出します。戦後まもなく御殿山に、ソニーが本社や工場を移転。2007(平成19)年までの約60年間にわたりその玄関口として「ソニー村」とも称されたのは、まだ記憶に新しいことでしょう。
また、1959(昭和34)年に制定された「工場等制限法」により、明治時代以降に目黒川沿いに建てられた機械・金属・化学工場を主とする町工場が、続々と郊外に移転。その工場跡地に、中小のオフィスビルが建設されました。

さらに1970(昭和45)年には、物流拠点であるTOC(東京卸売りセンター)が誕生します。TOCは、国内で最初の複合商業ビルになるとともに、世界的ブランドも輩出しています。
TOCからは、ハローキティのサンリオが生まれ、さらに衣料品の仕入れでTOCを活用していた小郡商事はその後、ユニクロブランドのファーストリテイリングとなり世界に羽ばたいています。

こうして五反田は、都内屈指の高級住宅地を周囲に配しながら、ターミナル周辺には大歓楽街、さらにはソニーという大企業を始め中小の企業がひしめくオフィス街という、3つの顔を有する街となったのです。
前半は、原始から現在に至るまでの五反田の歩みをご紹介しました。後半では、ベンチャー企業が集積する「五反田バレー」やタワーマンションの建設など、駅周辺で進む再開発に触れながら、五反田の未来像についてご紹介します。

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